ボルボックス

Volvox carteri

 数年前からボルボックス(Volvox carteri)を飼い始めた.ついては,ボルボックスがどのような生物か少し調べてみたので紹介する.

1.ボルボックスの分類と進化の過程
 およそ5千万年前 クラミドモナスの一種(Chlamydomonas reinhardtii)が突然変異を起こし,細胞分裂が完了できなくなった.この不分離によって群体の形成が始まったと考えられている.様々な細胞数を持つ様々な群体が誕生した.その中から数千から一万を超える細胞を持つ群体が誕生し,ボルボックスとなった.ボルボックスが誕生するまでには少なくとも12回の変異を積み重ねる必要があったと考えられている.
このボルボックス(HK-10、♀)はスフェロイド内に8個の成熟したゴニディウムを持っている.ゴニディウムも体細胞同様に葉緑体を持ち,光合成を行って自力で成長,成熟する.これらのゴニディウムはまもなく分裂を開始するところで あった.
ボルボックスはいくつかのグループに分類されるが,それぞれのグループは共通の祖先ボルボックスを持たず,それぞれ独自に進化したと思われる.それでも,それぞれのボルボックスが非常に似通った群体構造をとるようになったのは変異自体がごくありふれたもので,それほど特殊なものではなかったことと,ボルボックスの形態と生活様式において,生存に何か有利な点があったためであろうと考えられている.

2.ボルボックスの細胞骨格と群体の構造
 ボルボックスの体細胞は基本的にクラミドモナスに似た細胞骨格を持つ.他に類を見ないほど非常に複雑である.この細胞骨格が細胞分裂の方向性を決め,ボルボックスの群体構造に規則性と極性を持たせる原因となっているらしい.ボルボックスはその発生過程で,鞭毛の基部構造を回転させ,各体細胞の鞭毛は皆同一方向に有効打を打つようになっている.その結果,ボルボックスは回転しながら一方向にかなりの速度で遊泳することができる.各細胞は多種の糖タンパク質を多量に分泌し,複雑な細胞外基質(ECM)を構築する.中空の部分も流動性のあるECMで,成熟したボルボックス群体の体積の99%はECMで占められる.

このボルボックス(HK-10)内では胚発生が途中まで進行し,ひっくり返りを起こしている最中である.胚には大きな細胞と小さな細胞があり,大きな細胞はゴニディウムとなり,小さな細胞は鞭毛と眼点をもつ体細胞となる.ひっくり返り により,それまで胚の外側に配位していたゴニディウムは胚の内部に,体細胞の鞭毛は胚の外側に向くようになる.
3.ボルボックスの発生過程
 生活しているボルボックスは半数体で,通常は無性生殖で増殖する.♂♀とも1個の群体内に~16個ほどの生殖細胞(ゴニディウム)があり,成熟したゴニディウムは独りでに分裂を始め,胚を形成する(数は不定で,~16).32細胞期に,上半分の細胞群が不等分裂をして,大きい方が次の世代のゴニディウムとなる.小さい方と下半分の細胞群は分裂を続け,小さな体細胞となる.10~11回分裂するので,体細胞数は210~211程となる.初期胚では,体細胞は鞭毛が内側に向く方向で配位し,ゴニディウムは外側に露出しているが,発生の途中で胚の内側と外側がひっくり返る.
上の写真の一番下の胚の拡大
 その結果,ゴニディウムは群体の内部に収納され,体細胞の鞭毛は外側に向き,遊泳が可能となる.ボルボックスにとって,遊泳能力は生きるための必要条件で,泳げなければ水の底に沈んでしまって死滅する.
 体細胞は,鞭毛の他に,葉緑体,眼点を持つ.下半分由来の体細胞は群体の頭部(進行方向)に位置し,頭頂部に位置する体細胞は,細胞の大きさ,鞭毛の長さ,眼点の大きさがともに最大で,そこから尾部に移行するに従って,これらはだんだん小さくなる.ゴニディウム群は群体の後部に位置する.

4.ボルボックスの生殖
 自然界のボルボックスは年に一度くらいは有性生殖する.環境が生育に不適な条件になると,♂♀とも性の誘導が起こる.♂は不等分裂を停止し,ゴニディウムを作らなくなる.ある一定回数等分裂した後,次の分裂で,一方は体細胞となり,他方はさらに分裂を繰り返して精子となる.従って,♂群体では体細胞の数と精子ソケットの数は等しい.♀では32細胞期に不等分割が起こり,32個の卵子と体細胞ができる.精子は精子ソケットごと放出され,精子ソケットごと♀の群体に侵入する.♀の群体内で精子はソケットから遊離し,卵細胞と合体する.受精卵は黄褐色~オレンジ色に変色し,堅固な殻に覆われ,シストとなる.シストは再び生育可能な環境下では発芽し,減数分裂を行い,再び半数体のボルボックスとなる.
 性の誘導はフェロモン(ECMを構築する糖タンパク質の分解産物)によって誘発される.♂♀ともにフェロモンの放出を行い,フェロモンの放出は熱ショック(~45℃)や,電子伝達系の阻害などによって誘発される.これらの刺激は活性酸素の濃度を上昇させ,活性酸素の上昇がフェロモン誘発の直接的な引き金ではないかという報告がなされている.ボルボックスはふつうに飼育していても突然変異が起きやすい(特に♂).通常の条件下でも,かなりの頻度でDNAに損傷を受けているのかもしれない.活性酸素説を唱えている人たちは,生物の性分化はDNAの救助のために発達したと考えている.傷ついたDNAを持つ個体同士が合体して,DNAの組み換えを行い,正常なDNAのセットを次の世代に残すことが性分化の本来の目的ではないかというわけである.
 ♂のボルボックスに突然変異が起きやすいのは飼っているとすぐわかる.この突然変異のかなりの部分はトランスポゾンに依るものかもしれないが,生物がこんなにも頻繁に変異を起こしていてもよいものだろうかと考えさせられる.体細胞を作らない変異型,すなわち,すべての細胞が生殖細胞になりうる変異体が出現すると,正常なボルボックスを凌駕してしまう.

5.ボルボックスの視覚と走光性
 ボルボックスはクラミドモナス同様眼点を持ち,光量と方向を感知することができる.眼点はレチノイドを含む多層の油膜から成り,光の反射と干渉によって方向性が識別できるらしい.レチナールを結合したオプシンを持っているが,膜結合型ではないらしい.GTP結合蛋白質が共役し,その刺激で膜電位が変化する基本的なメカニズムは我々の視細胞で行われている現象とかなり共通点があるように思える.しかし,光刺激と鞭毛運動のコントロールがどのようなメカニズムで連動しているかということについてはまだ不明な点が多い.

 以上のようなボルボックスの特性を念頭に置いて,現在はECMに研究の焦点を当てている.ボルボックスは胚発生後、細胞が分泌する糖タンパク質を主成分として,複数のコンパートメントからなる複雑なECMを構築する.この構造はどのように形成されるのだろうか.また,成長過程において体積増大にともないECMはリモデリングされると考えられるが,どのような仕組みが存在するのか.現在ECM関連タンパク質がボルボックスの成長過程においてどのように変化しているのか解析を行っている.また,ECMに限らず,ボルボックスの細胞生物学的,分子生物学的な研究に興味を持つ若い共同研究者を求めている.

2015.05.20