原腸陥入は多細胞動物体の形づくりの重要な一里塚

 自分自身の身体のつくりを見てみよう.脳,肺,心臓,胃,腸,膵臓,肝臓,腎臓,膀胱,卵巣(精巣),骨,筋などが実に見事に,整然と配置されている.その基本的な配置パターンは,友人・知人と比較してもほとんど変わらない.これほどまでに秩序ある身体のつくり(構造)は一体どのようにして出来てくるのであろうか? 全ての後生動物(多細胞動物と考えて良い)は,たった1個の受精卵からその一生が始まる(海綿動物や腔腸動物の一部の後生動物では出芽という例外が見られるが).はじめ,1個の細胞であった受精卵は体細胞分裂(卵割ともいう)を繰り返し,細胞数を2個→4個→8個→16個→・・・と増加させながら,次第に親と同じかたちになってゆく.写真は私の愛する実験動物であるアカハライモリの個体発生の概要を示したものである.黄色番号1から9へと発生は進行し,5の時期で神経板が形成されはじめる.やがて神経板の周囲の隆起は閉鎖して神経管となり,中枢神経系(脳と脊髄)が形づくられる(写真では,右側に脳が形成される).


 単に体細胞分裂を繰り返しただけでは,細胞数は増加するが「形づくり(形態形成という)」には直接にはつながらない.そこにはどのようなしかけが隠されているのだろうか? もう一度,自分自身の身体を見てみよう.ほとんどの複雑な構造は身体の中に作られている.そう,多細胞動物は個体発生過程において,胚の内部の空間を利用して,複雑な構造を作り出しているのだ.すなわち,胚内部を利用可能にするおおもとの現象こそが,形態形成のしくみを知る上で極めて重要な現象であるといえる.それでは,胚はどのようにしてその内部空間に構造を形成してゆくのだろうか? この最初の現象が「原腸陥入」である.写真の黄色10番はイモリ胚を植物極側から眺めたもので,ちょうど原腸陥入が始まったところである.二つの青三角で挟まれた円弧状の線が「原口」である.この時期の胚を動物極側から眺めると写真黄色4番の頃に相当する.「原腸陥入」とは,それまで胚の表面に存在していた細胞層が原口の部分で折れ返り,胚の内部に進入する過程である.
 さて,もう少し具体的に「原腸陥入」という現象をみることにしよう.(1)まず,胚の表面を覆う細胞層(細胞間接着によりつながっているので上皮シートとも言える)が原口の部位で内側に折れ返らねばならない.(2)胚内部に進入した細胞たちは胚表面を覆う細胞層の内側に接着し,(3)この細胞層の上を原口とは反対側に移動する.(4)さらに,胚表面から次々と細胞が原口に向かって供給されることも必要である.(5)勿論,進入した細胞達も分裂をして細胞数を増やす必要もある.ここに書かなかった現象もいくつかある.しかも,これらの現象がひとつが終わったら次が起きるというような単純なものではない.原腸陥入とはこれらの現象が時間的に折り重なった複雑な現象であるために,個々のどの現象に目をつけ,どのような視点で切り込んでいくかが腕の見せ所となる.

 原腸陥入(単に陥入とも言う)という現象は原口上唇部や誘導などとともに高等学校の生物Iの教科書にも出てくるため,かなりなじみの深い現象である.と同時に,これらに関する研究の歴史は長い.したがって,そのしくみもかなり明らかにされているかというと,これがそうではない.むしろほとんど分かっていないと言っても過言ではない.もし,かなりの部分が解明されていたら,今さら私などの出番はないともいえる.

 わたしは,自分が研究対象とする現象を納得がいくまで観ることが研究の基本であると考えている.本や論文に書かれていることも重要であることは認める.しかし,自分の研究対象は自分で観なくてはいけない.そうでなければ,人の見たものを出発点にして仕事を進めることになってしまう.自分の目でよく観ることにより,他人とは異なる視点を思いつくことが可能なのだと信じている.発生生物学の大御所であった Dr. Viktor Hamburger (1900-2001)が次のような名言を残している.
Our real teacher has been and still is the embryo, who is, incidentally, the only teacher who is always right.
かの Dr. Hamburgerにしてこのように宣うのであるから,私のような不良中年研究者にあっては言わずもがなである.また,80歳を過ぎてもなお自分自身で実験を行っていた団 勝磨先生(故人)が,うまく実験結果が出ずに苦しんでいた私(当時は大学院生だった)に言ってくれた一言,
 「君の実験は卵をいじめすぎているんだよ!」(団先生,そうは言うけど,実験とは大なり小なり対象をいじめることなのだと思うのですが・・・)
を忘れずに,原腸陥入のしくみの本質を暴き出したいと考えている.彼が生きていたら,「暴き出すという態度ではなく,イモリ胚に教えてもらうという態度でなくてはいけないよ.」とたしなめられそうであるが.